3SCD0084 助川敏弥電子音楽作品集
¥3,056
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■CD「助川敏弥電子音楽作品集」toshiya SUKEGAWA music for electronic sound
企画・構成・解説・マスタリング・デザイン:西耕一
協力:助川敏弥アーカイブズ
発行:スリーシェルズ
品番:3SCD-0084-1,2(CD2枚組)
定価3056円(税込)
発売日 2026.08.30
JAN:4560224350849
没11年・電子音楽&環境音楽の重要作を収録した2枚組。アンビエントの隠れた傑作を発掘!
芸術とは、現実をみせるものではなく、夢を与えるもの(助川敏弥)
■曲目(英題併記)
[DISC 1]
1. おわりのない朝 1945.8.6. Op.68(1983) / The Eternal Morning
2. 風のうた Op.62(1980) / Chant Du Vent Op.62
3–4. NHK「現代の音楽」アイキャッチ&テーマ音楽(1990) / Theme Music For NHK Radio Program (1989)
5. みどりなすはこべもえず Op.78(1989) / The Green Chickweed Has Not Sprouted
6. 響像 Op.59(1978) / Structure
[DISC 2]
1. ベーリング海峡(1986) / Bering Strait
2. 八時半の音楽(1991) / Music for 8:30 A.M.
3. 休憩の音楽1(1989) / Music for Break Time 1
4. 休憩の音楽2(1989) / Music for Break Time 2
5. Evening(1995/Type2)
6. Afternoon(1995/Type3)
7. Requiem(1997/Type2)
8. Lacrimosa(1999)
9. Night Rain(1999/Take1)
■託された50本のDAT
本作品集は、助川敏弥(1930–2015)が所有していたマスターDAT(デジタル・オーディオ・テープ)約50本を、生前に譲り受けたことから始まった。2004年に筆者がテープをCD-Rに複製した縁もあり、晩年に託されたものである。「いつか形にします」と本人に確認すると、「自由に使って良い」と快諾された。テープには、助川の初期の電子音楽作品から晩年までの楽曲が未発表のものも含めて高音質で残されていた。
DISC 1のNHK電子音楽スタジオ関連作は、楽譜も解説も残されていたので迷いなくまとめられた。難しかったのはDISC 2である。助川が自身のスタジオで作った電子音楽(環境音楽)は、CD化もされず、コンサートでも演奏されず、しかし、毎日オフィスビルの空間を満たして消えるものだった。聴衆はいたが、リスナーがいなかった音楽。批評も解説も残らない。それらには、アルファ波誘発、労働の生産向上、癒しを目的としたものもあったが、作曲当時の評価基準ではなく、いま新たに聴く音楽としての美しさで選び直した。
■時代の変化によって再評価された仕事
ミクロな視点ではなく、世界を見回して、長い時間軸で再検証してみると助川の仕事は孤立ではなかった。電子音楽の商業・環境への利用は、黛敏郎の《オリンピック・カンパノロジー》(1964)のような演出的な音楽を経て、1970年大阪万博のパヴィリオンや空間音響実験へと続く系譜があり、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では助川が、養魚場でえさやりのために魚を呼び寄せる誘引音楽を作曲するということもあった。そしてアンビエント。ブライアン・イーノ『Music for Airports』(1978)をむかえる。1980年代の日本では吉村弘が美術館のための『Music for Nine PostCards』(1982)を作り、芦川聡は「漂うように流れ、人の生活の風景に波のように干渉しない音楽」を提唱、細野晴臣は無印良品の店内のために《花に水》を制作した。バブル期の建築・企業空間を経済基盤とする、環境音楽の生態系である。
その中で、デザインや現代美術の側から来た吉村・芦川らに対し、助川は現代音楽アカデミズムから来た。助川の定義によれば環境音楽とは「実用目的を優位に考え、しかもそこに新しい音楽創造の場を造り出そうとするもの」。実用と創造の同時追求こそ彼の署名である。現代音楽史はこの仕事を評価する言葉を持たなかった。だが死後、風景は一変する。2010年代後半、海外のディガーたちが日本の1980年代環境音楽を「Kankyō Ongaku」として発掘し、その名を冠したコンピレーション(2019)が第62回グラミー賞(2020年)にノミネートされた。助川のバイオシック・ミュージックもYouTubeで数十万回再生され、海外ブログが作家研究を発表した。現代音楽史が評価できなかった仕事を、世界のアンビエント音楽史が再発見したのである。本作は、このねじれに一石を投じる試みだ。没後11年の節目を機に、ようやくCDは完成をみた。
■芸術とは、現実をみせるものではなく、夢を与えるもの
助川は1930年生まれ。黛敏郎、諸井誠、湯浅譲二、武満徹ら、日本で最初に「電子音」と本格的に向き合った最初の世代に属する。1953年からは柴田南雄宅の「十二音音楽研究会」に参加、レイボヴィッツの原書を輪読した。情緒的に語られがちな音楽を理論的に捉えることに魅力を感じての参加だった。研究会に集ったのは、参加時期こそさまざまだが、高橋悠治、山本直純、真鍋理一郎、三木稔、そして渡辺宙明ら錚々たる顔ぶれ。だが最前線を内側から見た助川の結論は独特だった。現代音楽の難解さは、音色が固定したまま構造ばかり複雑化させたことにある。「音色が新しくなれば、複雑な構造にならなくても新しい表現ができる」。
日本音楽コンクール第一位・特賞(1954年、藝大在学中)に始まる戦後アカデミズムの王道を歩んだ助川が、なぜ電子音楽、環境音楽に向かったのか。その答えの一部は本人の戦中体験にある。戦時下の札幌一中では、米軍の圧倒的な戦力を伝え聞く中、それを精神力で補えと殴られて育った。助川は、非合理な精神主義に反感を持つとともに、個人の差を埋めてくれる機械や科学の重要さを思い知ったという。それゆえに電子音楽を始めとした機械に対しては好意的な立場を終生崩さなかった。インターネット、メール、譜面浄書ソフト、携帯電話も使いこなしてホームページも運営して、若者の言葉にも耳を傾け、世界中の友人と交流していた。また、悲しい戦争や、非合理な現実に対して、芸術は夢を与えるものでありたい、と考えた。本作品集のすべての曲の底に、「音色の新しさ」「芸術は夢を与えるもの」というこの二つの言葉が流れている。
■時代による機材の変化
本作品集の年代記は、そのまま電子楽器の歴史である。出発点は、1954年に設置され、翌1955年から本格稼働したNHK電子音楽スタジオ。当初の電子音楽は、放送局の特殊な機材と、それを操作するエンジニアが必要だった。助川の純粋な電子音楽第1作となる《風のうた》(1980)の旋律はフェーダーの一本一本に音階の音を割り当て、上げ下げして弾いた。
この状況に風穴を開けたのが、同世代の冨田勲(1932–2016)。1971年にMoogIII-Pを個人輸入し、自宅をスタジオに変え、1974年『月の光』で全米クラシカル・チャートを制した。誰もが知るドビュッシーを誰も聴いたことのない音色でアレンジする。冨田の成功は助川のテーゼの世界規模での実証だった。そしてイーノのアンビエントも、音色とテクスチュアを重視した。イーノ、冨田、助川は、同時期に「新しい音色」にアプローチしていったのである。
1980年代、電子音楽は個人の卓上へ降りてくる。助川も自宅のローランドJUNO-60を手弾きし、4チャンネルのマルチトラッカーに重ねて《ベーリング海峡》(1986)を作った。1983年のMIDI規格制定とDX7の登場という状況で、電子音楽が誰にでも作れる環境ができた。それゆえに一層の工夫が必要になる。助川の工夫は独特なアプローチになった。藝大楽理科の同級生で音楽心理学者の貫行子に誘われ、1986年、日本初とされるアルファ波誘発音楽《星へのいざない》を制作。当初は、商業デザインと思って始めたが、その反響を受けて翌年秋にバイオシック環境音楽研究所を設立、鹿島建設のオフィスビル・技術研究所のための音楽制作を10年以上続けた。天井スピーカーの性能から逆算して作曲し、三千人の社員アンケートで反響を確かめる。楽曲制作に新たな物差しが加わったのだった。
■変奏・別型・ヴァージョンの思想
曲目に並ぶ「Type2」「Type3」「take 1」の文字に、リミックスやエクステンデッド・ミックスを連想する人もいるだろう。それは正しい直感である。助川は数分の主題に反復と装飾変容を加えて数種類の長さの曲を作る方式を環境音楽で多用した。2000年頃からは過去の自作を生演奏用に作り直す「再作曲」を晩年の中心的方法とした。スタートは同じでも、違った答えがあり得たかもしれない。「芸術とは、現実をみせるものではなく、夢を与えるもの」という信条が、作曲方法そのものになっている。助川のデビュー作《パッサカリア》が、変奏を主眼に置いていたのは、この作曲家にとって「変奏」が生涯を貫く思想だったことの証明でもある。
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